国会議員の年金未納・未加入について大問題になっています。
小泉総理も未加入の時代があったとか。
私は詳しくないですが、もともと国会議員には国民年金の加入資格がなく、議員年金しかなかったそうです。しかし、10年掛け続けないと議員年金はもらえないため、1~2回当選して議員年金に加入し、その後、国会議員でなくなった(落選した)方は議員年金はもらえない。
1986年に始まった国会議員の国民年金の任意加入というのは、そういう方を救済するために「国会議員も国民年金に加入できるようにしよう」という意味合いもあったそうです。
つまり、当時は国民年金に入れるというのは、返ってくる額の方が大きく、ある意味、権利でもあったのではないでしょうか?
しかし、このままでは破綻するということになって、強制加入となり、返ってくる額の方が支払った額より少なくなりそうです。そして、権利というよりも義務であるという性格が強くなってしまいました。
そこで、現在のように国会議員の未加入・未納問題が国民感情として大きな問題となっているわけです。
果たして、返ってくる方が多かった時代なら、今と同じような反発があったのでしょうか?
「国会議員が国民年金に入れるのは二重取りだ」という反発になっていたかもしれません。
また、国民年金の負担というのは、現在、年間15万円ほどのことです。
数十兆円の国家予算の議論をすべき国会議員ですから、そんな細かいことは本当に秘書や家族や税理士や社労士や・・・に任せっきりだったでしょう。
自分のことを棚にあげて、タレントや他の議員の批判を散々繰り返したなど、別の問題がなければ、辞めるよりも、未納だった金額の何千、何万倍もの仕事をして返すのが筋なのではないでしょうか?
年間15万円ほどに拘るよりも、国会議員はもっと大きな高い視野で物事を見て欲しいものです。
そもそも、年金制度が破綻を来たしている原因は、国会議員が未納していることにはないのですから、細かいことで国会が空転したりする方が大きな損失であるということを、マスコミも、国民も考えるべきと私は思います。
さて、国会議員の未加入・未納問題はさておき、年金制度が破綻に近くなったのは、根本的に何が問題だったのでしょうか。
私の考えはこうです。
国会議員や官僚は、トータルでまず考えるので加入者数で割った答え(保険料と支給金額)には余り関心はない。国民は、保険料と支給金額(で生活出来るかということ)に関心があり、加入者数を掛け算したトータルや資金の運用など関係ない。
この考え方の隔たりは非常に大きなものです。
しかし、多くの国会議員は自分の任期中のことしか考えていないため、年金制度の変更は、国民に対するご機嫌取りであったり、急場しのぎの財源確保であったり、全体的な、将来的な、視点で行われてこなかったということです。
つまり、問題が発生したときにそれを先送りし、場当たり的にツギハギを繰り返してきた結果、一貫性のない制度になってしまったということでしょう。
実は、同じことが多くの業務システムの開発現場でも起こっています。
コンピュータシステムを開発する上でも、全体的な将来を見据えた視点を持つということは、非常に重要な課題です。
例えば、エンドユーザの声を重要視するか、経営者の声を重要視するか、保守を行うシステム部門の声を重要視するか、という問題です。
経営者とエンドユーザの考え方は、国会議員と国民と同じようにかなり違います。
この違いを埋めるために、社内の方だけで(システム部門の方が中心になって)ヒアリングを行っても、声の大きな方(立場の上の方)の意見に集約されがちになります。
そして、システムのグランドデザインがズレたまま、システムが構築されることになり、費用対効果の上がらないシステムになることも、年金制度のように破綻することも珍しくありません。
そうならないためにも、是非、プロジェクトのスタート時期から専門家も含めたプロジェクトを組んでください。
コンサルティング費用は安くはありませんが、結果的には随分と効果の上がるシステムを完成させることができるでしょう。
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